Paul Mariat : ポール・モーリア

ポール・モーリア(Paul Mauriat、1925年3月4日 – 2006年11月3日)は、フランスの作曲家、編曲家、指揮者、ピアニスト、チェンバロ奏者。特に日本では「ラブ・サウンドの王様」と呼ばれ、イージーリスニング界の第一人者として有名。

「恋はみずいろ」「オリーブの首飾り」などのヒット曲を持つ。

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Paul Mariat : ポール・モーリアの経歴

1965年、BEL AIRとの契約満了後にポール・モーリア・グランド・オーケストラ (LE GRAND ORCHESTRE DE PAUL MAURIAT) としてフィリップスレコードと契約。1968年に『恋はみずいろ』が全米ヒットチャートで連続5週トップを記録したのを機に世界的にヒット(約500万枚)、RIAAゴールドディスク、ACCディスク大賞などを受賞する。この年、モーリアは全米でのプロモーションのために単身渡米し、テレビ番組「エド・サリヴァン・ショー」などに出演。1969年以降、北米を中心にコンサート・ツアーを開催する.

『恋はみずいろ』以降も、フランス語圏や英語圏のヒット・ポップスや映画音楽を中心にレコーディングを続けるが、1970年代半ばから1980年代前半にかけてブラジル音楽に傾倒。1977年にはアシスタントのジェラール・ガンビュスらとリオデジャネイロに渡り、現地ミュージシャンを起用したアルバム『夜明けのカーニバル/ポール・モーリア・ラブ・サウンズの熱い風』(FDX-340)を制作。

また1978年には自らフュージョンをコンセプトとしたアルバムを企画、ニューヨーク・パワーステーション・スタジオでウィル・リー、ランディー・ブレッカー、マイケル・ブレッカー等を起用したオリジナル・アルバム『オーバーシーズ・コール/ポール・モーリア・イン・ニューヨーク』(FDX-390)を制作する。

さらに、1980年代半ばにはクラシック音楽を取り上げたアルバムを3年連続で制作、原題を『CLASSICS IN THE AIR 』に統一したシリーズ作品として発表、日本でも『愛の夢/ポール・モーリア・クラシック・ヒッツ』(1985年・28PP-102)、『G線上のアリア/ポール・モーリア・クラシック・ヒッツ』(1986年・28PP-111)、『プリマヴェーラの微笑〜ポール・モーリア・クラシック・アヴェニュー』(1987年・28PP-134)として発表されている。

恋はみずいろ (L’amour Est Bleu “Love Is Blue”)
アンドレ・ポップ作曲。ヴィッキー(SFL-1115)が歌った1967年度ユーロビジョン・ソング・コンテスト4位入賞曲。モーリアが取り上げ、1968年2月10日付から同年3月9日付ビルボード・ホット100で5週連続1位 の大ヒットとなり、世界的に有名になった。

蒼いノクターン (Nocturne)
モーリアの自作曲で、1970年代半ばまでは来日コンサートのアンコール曲として演奏されることが多かった。

愛の信条 (Mon Credo)
ミレイユ・マチューのデビュー曲(キング HIT-1354)として提供されたモーリアの作品。

口笛の鳴る丘 (Siffler Sur La Colline “Uno Tranquillo”)
ジョー・ダッサン1969年のヒット曲だが、アルバム『裸足のイサドラ/ポール・モーリア』(SFX-7220)で発表されたモーリアの演奏がニッポン放送

ポール・モーリアのR&B (Etude En Forme De Rhythm & Blues “Etude In The Form Of Rhythm & Blues”)
1969年の全米ツアーのオープニングテーマをモチーフに1970年の訪米中に完成させたとモーリアが後に述懐、『ポール・モーリアのテーマ』の曲名でも知られる。

エーゲ海の真珠 (Penelope “L’eternel Retour”)
スペインのアウグスト・アルグエロ作曲 で、本来はメキシコ向けの録音。日本では1970年12月20日にシングル盤(SFL-1307)で発売され、オリコンチャート最高40位・約7.5万枚のレコードセールスを記録している。このテイクではダニエル・リカーリが中間部のスキャットを担当していた。

想い出のランデブー (Rendez-Vous Au Lavandou)
1958年にダリダの歌唱でヒットしたモーリアの自作曲。1972年にアルバム『想い出に生きる/ポール・モーリア・フレンチ・トップ・ヒッツ』(SFX-5048)で発表されたモーリアの演奏版が、日本テレビ『あすの全国の天気』で1980年から10年間に亘りBGMとして使用された。

涙のトッカータ (Toccata)
フランスの音楽家ガストン・ローラン の作曲。モーリアは1951年、フランク・プゥルセル楽団のピアニストとしての採用オーディションで初見演奏している。その後、引退音楽家のための高齢者施設に住むローランからレコーディング許諾を得て1973年に発表した。

天使のセレナード (La Chanson Pour Anna)
もともとはウクレレ奏者ハーブ・オオタのためにアンドレ・ポップが書き下ろした作品だが、1973年に前掲『ラスト・タンゴ・イン・パリ〜天使のセレナード/ポール・モーリア』で取り上げて以降はモーリアの人気ナンバーとなり、シングルカットもされている(SFL-1774)。NHKの音楽番組「世界の音楽」のテーマ曲としても使用された。

白い渚のアダージョ (Le Piano Sur La Vague)
1974年にアルバム『パピヨン〜追憶〜メロディ・レディ/ポール・モーリア』(SFX-5141)で発表されたモーリア自作曲。のち1983年にアメリカ映画「オータム・ストーリー」のエンディングテーマ曲として使用され、『オータム・ストーリーのテーマ』と改題されたシングル盤(7PP-110)も発売された。1988年・1996年の2度に亘って再録音されている。

オリーブの首飾り (El Bimbo)
クロード・モルガン作曲 で、オリジナルはビンボー・ジェットが演奏した『嘆きのビンボー』(東芝EMI EOR-10691)。1975年1月25日に発売されたシングル盤(SFL-2001)はオリコンチャート最高61位にとどまるものの、モーリアの演奏シングル盤としては最も多い約12.7万枚を売り上げている。本曲発表後の各種ライブアルバムに収録されたほか、1988年・1994年にも新録音テイクが発表された。1970年代後半からの来日公演では、観客の手拍子をバックにオーケストラ・メンバーを紹介してフィナーレを飾る定番ナンバーとしても演奏された。日本テレビ系深夜番組『11PM』のコーナーBGMに使用されるなど日本での人気は高い。

薔薇色のメヌエット (Minuetto)
モーリアの自作曲。1975年に発表されたアルバム『巴里にひとり/リリー・マルレーン ポール・モーリア』(FDX-175)では『ミニュエット』と表記されていたが、シングルカット(SFL-2054)を機に邦題が改められた。

恋のシャリオ(アイ・ウィル・フォロー・ヒム) (I Will Follow Him “Chariot”)
リトル・ペギー・マーチの1963年全米ヒットナンバー(ビクター SS-1350)であり、『愛のシャリオ』『夢の幌馬車』の邦題でも知られる。モーリアが「デル・ローマ」の変名を用いて、「J.W.ストール」を名乗ったフランク・プゥルセルとの共作で発表していたことが、1976年に初収録されたアルバム『ラブ・イズ・スティル・ブルー/ポール・モーリア・ディスコ・センセイション』(FDX-250)のリリースを機に公表された。後年、映画「天使にラブ・ソングを…」で主題歌として用いられた。

そよ風のメヌエット (Petite Melodie)
モーリア自身の作曲。1977年、アルバム『愛の讃歌/ポール・モーリア・ニュー・ワールド・トップ・ヒッツ’77』(FDX-300)で発表、シングルカット(SFL-2171)された。

星空のプロムナード (Pulstar)
オリジナルはヴァンゲリスの『パルスター』(RVC RVP-6156)。1977年の来日公演で初演され、翌年春発売のアルバム『星空のプロムナード ポール・モーリア・トップ・ヒッツ’78』(FDX-361)に収録、シングル盤(SFL-2248)も同時発売された。

渚のプレリュード (Prelude 59)
1973年から1982年までモーリアのブレインだったジェラール・ガンビュスとモーリアの共作曲。当時発売されていたオリジナルファッションブランドに因み「ブルーシーガルのテーマ」を副題として、1981年に発表されたアルバム『ポール・モーリアと再会』(28PP-13)に収録され、同時にシングルカットされた(7PP-38)。

愛のカフェテラス (Hot On The Scent “Ai No Cafe Terrase”)

1982年にアルバム『愛のカフェテラス〜ポール・モーリア/マジック』(28PP-42)で発表、シングルカットが『恋はみずいろ’83』[30] とのカップリングで発売(7PP-78)された、ポール・モーリア自作。夫人のイレーヌ・モーリアが作詞したが、ボーカル盤としては発表されなかったとされている。なお、『愛のかおり』(7PP-115)、『天使のメヌエット[32]』(キャニオン 7Y0073)、『哀しみのショパン』(7PP-161)などの作品が使用され、引き続き自身も出演した。

BOWS
コンサート第二部オープニング、およびアンコール前の観客がモーリアへ花束を贈る間に演奏された曲。複数のバージョンがあり、『ポール・モーリアのR&B』をモチーフとしたもの、『シャレードの休日』をモチーフとしたもの、『OPENING ’85』をモチーフとしたものなどが演奏された。なお前二者はコンサート・エンディングテーマとしても演奏されている。

イッツ・ア・マンズ・マンズ・マンズ・ワールド
ポール・モーリアとしては珍しいソウル/R&Bのカバー曲。ジェームズ・ブラウンのヒット曲の魅力を、創造的な編曲でリスナーに伝えている。

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